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コタロさんの独り言

こたろうさんの独り言を書いていくブログです。

「日経新聞 憲法と私 姜尚中さん」健康で文化的な生活(25条)は拡大解釈しすぎだと思う。

日経新聞に掲載されている記事からです。

www.nikkei.com

憲法と私は、日替わりで憲法についての思いなどを語る短文の記事です。今回は11/1付の政治学者 姜尚中さんの記事についての感想です。

率直な感想としては、拡大解釈しすぎだということ。

憲法に書いていないことを勝手に「憲法の趣旨」・「憲法の要請」などと解釈して考えてしまうのです。

例えば、

地域の一員として多文化共生社会を築くことが憲法の趣旨に沿うと考えるようになりました。

そんなことは、憲法にはどこにも書いていないのだけれど、まぁなんというか、都合のいい解釈ですね。

多文化共生社会を築く→外国籍の自分たち在日コリアンも日本に住むということが「憲法の趣旨」に沿っている

と考えることによって、自分たちの心の平穏が得られたのでしょうか。

 

さらに

特に25条の「健康で文化的な生活」との文言は、多様な文化アイデンティティーを認める意味があると思います。

に至っては、

  「そんなことどこにも書いてないから」

と突っ込みたくなってしまいます。

 

「健康で文化的な生活」とは、普通は、生活保護などを考えるときに、最低限の衣食住だけでなく、ある程度趣味にお金を使えるくらいの生活が送れるくらいのレベルを最低ラインと考えなさいということのためにある文言だと思うわけです。
つまり、生活保護を受けていても、(健康で文化的かどうかはわからないけど、)たばこを吸ったり、お酒を飲んだり、パチンコをしたりするくらいの余裕があってもいいのではないかというそういうことだと思うわけです。

最後に

前文や9条がうたう平和主義も、多文化共生社会と密接不可分です。異質なものとの共存という目指すべき理想を憲法は掲げているのです。

とあらためて、多文化共生社会というキーワードをだして、在日コリアンが多文化共生社会を日本に生み出しているとアピールしたいようです。

多文化共生社会を築いたり、異質なものとの共存するのは、それ自体否定するようなことではないのですが、このように憲法にかこつけて自分たちを正当化しないと心の平穏が得られなかったのは、かわいそうですらあると思ってしまった次第です。